家族全員で青汁を飲むようになって変わった食卓の話

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こんにちは、都内でITメーカーに勤めている田中麻衣と申します。
小学生の娘と夫の3人暮らし、フルタイム勤務のワーママです。

私が青汁を飲み始めたのは、5年ほど前のこと。
最初は自分の野菜不足を補うためだけの、いわば「1人の習慣」でした。

それがいつの間にか、家族3人の朝のルーティンに変わっていて、気づけば食卓の空気そのものが少しずつ変わっていたんです。

今日は、我が家に起きた小さな変化と、続けていくうえで欠かせなくなった青汁の定期購入の話を、体験ベースでお伝えします。

1人の習慣だった青汁が、家族に広がったきっかけ

きっかけは、ある朝の何気ないひと言でした。

キッチンで青汁をシェイカーに入れて振っていたら、隣に来た娘が「ママ、それ何?」と覗き込んできたんです。
それまでも見ているはずなのに、その日はやけに興味を持った様子で。

「野菜のジュースみたいなものだよ」と説明しても、いまいちピンとこないよう。
そこで牛乳で薄めて、コップの底のほうに少しだけ入れて、はちみつを一滴たらしてあげました。

一口飲んだ娘の反応は、想像より前向きでした。
「思ってたより苦くない。ちょっと草っぽいけど」と。

その様子を見ていた夫も「じゃあ俺も」と自然に参加。
なんとなく家族全員で朝に青汁を飲む流れが、その日からはじまりました。

今思うと、こちらから「体にいいから飲もう」と押し付けたわけではなく、娘のほうから興味を持ってくれたタイミングだったのがよかったのかもしれません。
健康習慣って、始まりが自然なほど続くんだなあと、後になって感じています。

家族で飲むようになって、朝の食卓が変わった話

家族3人で青汁を飲むようになってから、朝の食卓には小さな変化がいくつも起きました。

まず、会話が増えました。
「今日は緑濃いね」「粉、少し多くない?」といった、他愛のないやりとりが自然に生まれるように。

「みんなで同じものを口にする」って、案外強い共通体験なんですよね。
農林水産省の食育の推進に役立つエビデンス(共食をするとどんないいことがあるの?)でも、家族と一緒に食事をとる人は野菜や果物の摂取が多く、コミュニケーションや心の状態によい影響があると紹介されています。

我が家の場合、青汁1杯がその「共食」のいちばん最初のスイッチになりました。

もうひとつ大きかったのは、家族の野菜不足への安心感です。
厚生労働省が推奨する成人1人あたりの野菜摂取量は1日350gですが、実際の平均はそこに届いていません。
厚生労働省スマート・ライフ・プロジェクト「+70gの野菜で食生活を見直そう!」でも、副菜1〜2皿分にあたる70gを日々の食事に上乗せしようと呼びかけられています。

大人でも足りていないのですから、忙しい家庭の子どもは推して知るべし。
毎朝の青汁1杯ですべてを賄えるわけではありませんが、「今日も家族全員が少しは野菜に触れた」という事実だけで、私の気持ちがずいぶん軽くなりました。

家族で続けるなら、青汁は定期購入がちょうどよかった

家族で飲むようになって、はっきり実感したことがあります。
1人で飲んでいたころと比べて、青汁の消費スピードが3倍近くになったことです。

うっかり切らしてしまうと、朝の食卓で娘に「今日、青汁は?」と聞かれる始末。
罪悪感というと大げさですが、あの表情に応えるためにドラッグストアをハシゴした時期もありました。

そこで我が家が切り替えたのが、青汁の定期購入でした。
決まった周期で自動的に届くので、買い忘れがゼロになりました。

しかも通常価格より5〜10%ほど安くなるものが多く、家族で継続するには金銭的にも助かる仕組みです。
配送のスキップや周期変更、解約の柔軟さは商品によりますが、以前より使いやすくなっている印象があります。

私が定期購入の商品を検討するときに参考にしたのが、青汁は定期購入がおすすめ!お得な人気商品を紹介という日本薬健のコラム記事です。
定期購入のメリットと、家族でも飲みやすい粉末タイプの商品ラインナップがコンパクトにまとまっていて、初めての方が最初に読むにはちょうどいい情報量でした。

家族で続けたいと思ったときこそ、無理なく続けられる仕組みを先に整えておくのがおすすめです。

まとめ

青汁1杯で家族の食卓の空気が変わるなんて、始めた当初はまったく想像していませんでした。

でも振り返ってみると、健康習慣を家族で共有するには、「特別なイベント」より「毎日ちょっとだけ同じことをする」ほうがずっと効くのかもしれません。

  • 家族で飲むと朝の会話が自然に増える
  • 野菜不足への不安が少しやわらぐ
  • 消費スピードが早いので定期購入と相性がいい

派手なことは何もしていませんが、続いているから意味があるのだろうと感じています。
無理せず、家族で少しずつ健康に近づいていけたらいいですね。

車いすで外出するとき、頼れる地図情報はどこにあるのか

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車いすで外出するとき、「あの道は通れるだろうか」「近くに多目的トイレはあるだろうか」と不安になった経験はありませんか。

私は柴田あゆみと申します。福祉とテクノロジーの交差点をテーマに、フリーライターとして10年ほど活動しています。車いすユーザーだった母と長年暮らしていたこともあって、外出時の「地図の頼りなさ」は肌で感じてきました。

一般的な地図アプリは、健常者の移動を前提に作られています。最短ルートを示してくれても、そこに段差があるのか、スロープがあるのか、エレベーターが使えるのかまでは教えてくれません。

ただ、最近は車いすユーザーの視点に立った地図情報やアプリが着実に増えてきています。この記事では、私自身が調べて「これは頼れる」と感じた地図情報をまとめました。外出の不安を少しでも軽くするきっかけになればうれしいです。

一般的な地図アプリだけでは足りない理由

車いすでの移動と徒歩の移動は、地図に求める情報がまったく違います。

たとえば、Googleマップで「最寄り駅から目的地まで徒歩5分」と表示されたとします。でもそのルートに階段があったら、5分どころか別の道を探して30分かかるかもしれません。歩道の幅が狭くてすれ違いができないルートを案内されたこともあります。母と出かけていたとき、地図通りに進んだら途中で段差に阻まれて引き返し、結局20分以上余計にかかった経験は一度や二度ではありませんでした。

車いすユーザーが外出前に知りたい情報を整理すると、たとえば以下のようなものが挙がります。

  • 段差やスロープの有無
  • エレベーターの設置場所と稼働状況
  • 多目的トイレの位置
  • 歩道の幅や路面の状態(砂利道、タイル、傾斜など)
  • 施設の入口が車いすで通れるかどうか

健常者にとっては気にも留めない小さな段差や傾斜が、車いすユーザーにとってはルート変更を迫られる大きな壁になります。こうした情報は従来の地図アプリではほぼカバーされていませんでした。しかし近年、この課題に正面から取り組むサービスがいくつも登場しています。

スマホで使えるバリアフリーマップアプリ

ここでは、スマートフォンで実際に使えるバリアフリー特化の地図サービスを3つ紹介します。どれも無料で利用可能です。

WheeLog!(ウィーログ)

「みんなでつくるバリアフリーマップ」を掲げるWheeLog!は、車いすユーザー自身が走行したルートやスポット情報を投稿・共有できるアプリです。iOS・Androidの両方に対応しています。

このアプリで特徴的なのが「走行ログ」機能。スマートフォンのGPSを使い、実際に車いすで移動したルートを記録して地図上に表示できます。「この道は通れた」という実体験がそのまま他のユーザーの参考情報になる仕組みで、登録スポット数は約6万件、ユーザー数は10万人を超えています。

10言語対応で海外でも利用でき、Googleインパクトチャレンジのグランプリ受賞や内閣総理大臣賞の受賞など、社会的な評価も高い。国土交通省のバリアフリー施策ページでも活動が紹介されています。

神奈川県や岡山県、川口市など、自治体との連携によるオープンデータの活用も進んでおり、単なるアプリにとどまらない広がりを見せています。

ミライロID(ミライロマップ)

デジタル障害者手帳アプリとして知られるミライロIDには、「ミライロマップ」というバリアフリー地図機能が搭載されています。

2022年にバリアフリー地図アプリ「Bmaps」と統合され、施設や店舗のバリアフリー情報を地図上で確認できるようになりました。ファミリーマートやコープさっぽろなど大手チェーンの店舗情報も掲載されていて、買い物先を選ぶときにも使えます。

障害者手帳の提示が必要な場面でスマホをかざすだけで済むという本来の機能に加え、地図機能が一体化している点は外出時に便利です。手帳の管理と地図検索を一つのアプリで完結できるのは、荷物を減らしたい外出時にはありがたい設計です。

Googleマップの「車椅子対応」機能

身近なGoogleマップにも、バリアフリー情報を表示する機能があります。意外と知られていないので、紹介しておきます。

設定方法は、Googleマップの「ユーザー補助設定」から「車椅子対応に関する情報の強調表示」をオンにするだけ。これで施設の入口、トイレ、座席、駐車場、エレベーターが車いすに対応しているかどうかがアイコンで表示されるようになります。

経路検索でも「車椅子対応」にチェックを入れれば、バリアフリールートを優先して案内してくれます。Google Japan Blogの公式記事によれば、入口に車いす対応がないことが確認された場所についても、その情報が表示される仕組みです。

専用アプリほどの細かさはないものの、新しくアプリをインストールしなくてもすぐ使える手軽さが魅力です。

3つのサービスを比較する

それぞれ特徴が異なるので、用途に応じて使い分けるのがおすすめです。

サービス名主な特徴情報の集め方対応エリア
WheeLog!走行ログ・スポット共有が充実ユーザー投稿が中心国内・海外
ミライロマップ障害者手帳アプリと一体化事業者からの情報提供国内
Googleマップ既存アプリに追加できる事業者情報+ユーザー報告全世界

WheeLog!は「実際に通った人のリアルな情報」が強みで、ミライロマップは「事業者が公式に提供する情報」の信頼度が高い。Googleマップはカバー範囲が広い反面、バリアフリー情報の粒度はやや粗め。一つに絞るよりも併用した方が安心です。

自治体が公開しているバリアフリーマップ

アプリだけでなく、各自治体が独自にバリアフリーマップを作成・公開しているケースも多くあります。

東京都では「とうきょうユニバーサルデザインナビ」というポータルサイトで、都内各区市町村のバリアフリーマップを一覧にまとめています。板橋区、大田区、新宿区、世田谷区、千代田区など20以上の区市町村がインターネット上で地図を公開しており、施設名やエリアから検索できるものがほとんどです。

自治体マップの強みは、その地域に密着した情報が載っている点です。特定のエリアに繰り返し出かける場合や、引っ越し先の環境を事前に確認したい場合には、アプリよりも使い勝手がよいこともあります。

中央区、足立区、府中市、八王子市などは冊子版のバリアフリーマップをPDFで公開しており、印刷して持ち歩けます。スマートフォンの操作が苦手な方やバッテリー切れが心配な場合には、紙のマップも選択肢に入れておくとよいです。

ただし注意点もあります。自治体マップは作成時点の情報で止まっているケースが少なくありません。店舗の閉店やビルの建て替え、新しいスロープの設置といった変化が反映されるまでに時間がかかることがあります。利用時には、アプリの最新情報と照らし合わせながら使うのが安全です。

バリアフリーマップの裏側にある「つくる技術」

ふだん当たり前のように使っているバリアフリーマップですが、完成するまでにはかなりの労力がかかっています。どんな仕組みで作られているのか、少し掘り下げてみます。

ユーザー投稿型の地図づくり

WheeLog!のようなアプリは、ユーザー自身の投稿によって情報が蓄積されていく仕組みです。実際に車いすで街を歩き、通れたルートや使えた施設を一つずつ登録する。地道な一人ひとりの行動が、巨大なバリアフリーマップを形作っています。

メリットは、情報の鮮度が高いこと。工事中で通れなくなった道や、新しくスロープが設置された場所など、変化をリアルタイムに近い形で反映できます。一方で、投稿者が少ないエリアでは情報が手薄になるという課題も残っています。都市部では情報が充実している一方、地方ではまだまだ空白地帯が多いのが現状です。

GIS技術を活用した専門的な地図づくり

自治体が公式に作成するバリアフリーマップでは、GIS(地理情報システム)の技術が欠かせません。現地で実施したバリアフリー調査の結果をデジタル地図上に正確にプロットし、誰でも閲覧できる形に整える。この作業には、測量技術と地図データ処理の両方の専門知識が必要です。

国土交通省が公開しているバリアフリーマップ作成マニュアルでも、「誰もが使いやすいバリアフリーマップを作成するためには、市町村のみならず、施設管理者や住民等の協力が不可欠」と記載されています。行政だけで完結する仕事ではなく、専門企業の力を借りながら進めるケースが多いのが実情です。

GISデータ処理からバリアフリー調査・マップ制作まで一貫して手がける企業の例として、株式会社T.D.Sの事業概要を見ると、その専門性の高さがわかります。国際航業グループの特例子会社として1985年に設立された同社は、従業員の約7割が障害のある方です。東京都初の重度障害者雇用モデル企業でもあり、当事者の視点が地図づくりに自然と活かされている点は、他にはない強みだと感じます。

バリアフリーマップの品質は、調査の精度に直結します。「ここにスロープがある」「この通路は車いすが通れる幅がある」といった情報を正確に地図データへ落とし込むには、現地調査と地図データ処理を高いレベルで両立できる体制が必要です。ユーザー投稿型のアプリと、専門企業による精密なGIS地図。この両輪が揃うことで、バリアフリーマップ全体の質が底上げされていきます。

外出前にやっておくと安心なこと

バリアフリーマップの存在を知っていても、事前の準備があるかないかで外出時の安心感は変わります。私が母との外出で実感した、やっておいてよかったことを3つ挙げます。

  • 目的地周辺のバリアフリー情報を、複数のサービスで事前にチェックする。一つのアプリだけに頼ると、カバーされていないエリアで困ることがある
  • WheeLog!で同じエリアを訪れた他のユーザーの走行ログや口コミに目を通しておく。「この坂は急だった」といった体感ベースの情報は貴重
  • Googleマップの「車椅子対応」設定をオンにして、経路検索時のルート候補をあらかじめ比較しておく

アプリのユーザー投稿は最新情報が反映されやすい反面、投稿がないエリアもあります。自治体のマップは網羅的ですが、更新頻度にばらつきがある。それぞれの長所を理解した上で組み合わせるのがコツです。

初めて行く場所では念入りに、よく行く場所でも「前回と変わっていないか」をときどき確認する。その習慣があるだけで、現地で慌てる場面は格段に減ります。

まとめ

車いすで外出するとき、「この道は通れるだろうか」という不安はなかなか消えません。でも、WheeLog!やミライロマップのような専用アプリ、自治体のバリアフリーマップ、Googleマップのアクセシビリティ機能など、頼れる地図情報は着実に増えています。

こうした地図が充実してきた背景には、ユーザー一人ひとりの投稿、GIS技術を使った専門的な地図づくり、そしてバリアフリー法の改正をはじめとする法整備の後押しがあります。2018年の法改正では、市町村がバリアフリーマップの作成に関する事項を定められるようになり、自治体主導の取り組みが加速しました。

地図は単なるナビゲーションツールではなく、「行きたい場所に行ける」という安心感そのものです。

まずは一つ、気になるアプリをダウンロードして触ってみてください。そして余裕があれば、自分が行った場所のバリアフリー情報を投稿してみてほしい。その一件の投稿が、どこかで外出をためらっている誰かの背中を押すかもしれません。

畑恵という生き方──キャスター、国会議員、教育者の三足のわらじ

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「一つの肩書に収まりきらない人」に出会うと、つい深掘りしたくなる性分です。フリーライターの藤村真理子と申します。ふだんは女性政治家のキャリアや教育政策をテーマに取材・執筆をしています。

今回取り上げる畑恵さんは、NHKキャスター、参議院議員、そして学校法人の理事長と、まったく異なる三つのフィールドを歩んできた人物です。これだけ聞くと華麗な転身劇のようですが、調べてみると、それぞれのキャリアが地続きでつながっていることがわかります。

近年、リスキリングやパラレルキャリアといった言葉をよく耳にするようになりました。でも、畑恵さんがキャリアチェンジを重ねてきたのは、そんな言葉が広まるずっと前のことです。1980年代から2020年代にかけて、約40年にわたるキャリアの変遷には、時代を先取りした生き方のヒントが詰まっています。

この記事では、畑恵さんの経歴をたどりながら、なぜ彼女がキャリアを変え続けてきたのか、その選択の背景を読み解いていきます。

NHKキャスター時代──「伝える」を武器にした20代

最年少で「夜7時のニュース」に抜擢

畑恵さんは1962年、東京都生まれ。東京都立国立高等学校を経て、早稲田大学第一文学部仏文科を卒業しています。フランス文学という文系ど真ん中の学問を修めた後、1984年にNHKへ入局しました。

入局後すぐに注目を集めたのが、「夜7時のニュース」のキャスターへの抜擢です。当時の最年少記録だったとされています。報道番組のメインキャスターを20代前半で任されるというのは、かなり異例のこと。それだけ即戦力として評価されていたのでしょう。

1980年代のNHKといえば、まだまだ男性中心の職場環境でした。その中で全国放送のニュース番組を担当するというのは、相当なプレッシャーだったはずです。毎日何百万人もの視聴者に向けて、正確にわかりやすくニュースを届ける。この経験が、畑恵さんの「伝える力」の土台を築いたことは間違いありません。

NHK時代の担当は報道だけにとどまりません。科学番組や生活情報番組のキャスターも務めていて、幅広いジャンルをカバーしていました。報道畑一筋ではなく、サイエンスや暮らしといった異分野にも関わっていた。この「報道以外の分野にも足を踏み入れる」姿勢は、のちの科学技術政策への関心とも無関係ではなさそうです。

フリーキャスターへの転身とパリ留学

1989年、畑恵さんはNHKを退局します。5年間の局アナ生活に区切りをつけた格好です。

退局後はフリーランスのニュースキャスターとして、テレビ朝日系「サンデー・プロジェクト」をはじめとする複数の報道番組に出演しました。「サンデー・プロジェクト」は当時、日曜朝の政治討論番組として高い影響力を持っていた番組です。NHKで磨いたスキルをそのまま民放の報道番組に持ち込んだ形になります。

当時、報道番組で活躍する女性キャスターはまだ少数派。その中でフリーの立場を選んだのは、組織に縛られない発信を求めたからかもしれません。

そして1992年、畑恵さんのキャリアに大きな転機が訪れます。EC(現EU)の招聘を受けてパリへ留学したのです。

パリでの学びは二本立てでした。

  • ESMC(文化高等経営学院)で文化政策と文化マネジメントを学ぶ
  • レコール・ド・ルーブルで美術史を学ぶ

キャスターとして第一線にいた人物が、30歳を過ぎてからヨーロッパに渡り、まったく新しい分野を学び直す。このフットワークの軽さは、畑恵さんのキャリアを理解するうえで見逃せないポイントです。

ちなみにレコール・ド・ルーブルは、ルーブル美術館に併設されたフランスの名門教育機関。文化政策と美術史という組み合わせは一見バラバラですが、「文化を守り、広め、次世代につなぐにはどんな仕組みが必要か」という問いで見ると一本の線になります。ここでの学びが、のちの教育機関経営にも通じていくわけです。

参議院議員としての6年間──報道経験を政策に活かす

1995年、新進党から国政へ

パリから帰国した畑恵さんが次に選んだ道は、政治でした。

1995年の第17回参議院議員通常選挙に新進党公認で比例区から立候補し、当選を果たします。NHKキャスター出身の国会議員という経歴は当時も話題になりました。

報道の現場で政治を外から見てきた経験と、パリで学んだ文化政策の知見。この二つを持ち込む形で政治の世界に入ったわけです。

1990年代はメディア出身の候補者が注目されやすい時代でもありました。テレビで顔が知られているぶん知名度は高い。ただし、知名度と政治力は別物です。畑恵さんがどこまで政策立案に深く関われたのかは、メディア出身議員に共通する課題だったともいえます。

所属した新進党は1997年末に解党。短命に終わった政党の渦中にいたことで、政治活動の基盤づくりは容易ではなかったはずです。その後は無所属を経て自民党に移り、2001年の改選時には東京選挙区から無所属で立候補しましたが、再選はなりませんでした。参議院議員としての活動は1期6年間で幕を閉じています。

6年という期間は短く感じるかもしれません。ただ、この間に科学技術政策やデジタル化推進に取り組んだ実績を見ると、限られた時間の中でテーマを絞り、集中して成果を出そうとした姿勢がうかがえます。

科学技術政策とデジタル化推進に取り組んだ先見性

議員時代の畑恵さんが力を入れたテーマの一つが、科学技術政策です。「参議院マルチメディア化推進議員懇談会」の事務局長を務め、1990年代後半というインターネット黎明期にデジタル化推進に取り組んでいました。

1990年代後半のデジタル政策は、今ほどの注目度はありません。スマートフォンもSNSもない時代に「マルチメディア」という言葉で未来の情報社会を語っていたことになります。それでもこの分野に目を向けていたという事実は、NHK時代に科学番組を担当した経験が活きていたのだろうと推測できます。

テクノロジーの可能性をいち早く嗅ぎ取り、政策として形にしようとした。振り返ると、この感覚は時代の20年先を見ていたともいえます。

畑恵さんの議員としての経歴は、畑恵の政治家プロフィールページで確認できます。選挙歴や基本情報がまとめられているので、政治家としての側面に興味がある方は参考にしてみてください。

教育者としての転身──作新学院理事長への道

副院長就任と博士号への挑戦

政治家から教育者へ。この転身は2000年、畑恵さんが学校法人作新学院の副院長に就任したことから始まります。

注目すべきは、翌2001年にお茶の水女子大学大学院の後期博士課程に入学したこと。現職の参議院議員が大学院の博士課程に入学するのは、当時初めてのケースでした。

博士論文のテーマは「日本の科学技術政策における戦略的資源分配システム構築に向けた検証と考察」。まさに議員時代に取り組んだ科学技術政策を学術的に掘り下げた内容です。2008年に博士号(学術)を取得しています。

政治の世界で直面した課題を、今度は研究者の目で検証し直す。このアプローチは、キャスター時代から一貫している「まず学び、それから実践する」という姿勢の表れでしょう。

ここで注目したいのは、単に「学び直した」だけでなく、220ページに及ぶ博士論文をまとめ上げたという事実です。博士課程は入学すること自体が難しいですが、修了して学位を取得するほうがはるかにハードルが高い。7年かけて論文を完成させた粘り強さは、キャスターや議員とは異なる種類の能力が求められたはずです。

理事長として掲げる「自学自習」の理念

2013年、畑恵さんは作新学院の理事長に就任しました。

作新学院は明治18年(1885年)に創立された総合学園で、幼稚園から大学院まで約6,500名の在校生を擁しています。学院名の「作新」は中国の古典『大学』に由来し、勝海舟が命名したという歴史を持ちます。

項目内容
創立1885年(明治18年)
所在地栃木県宇都宮市
在校生数約6,500名
学校構成幼稚園・小学部・中等部・高等学校・大学・大学院
建学の精神一校一家・自学自習・誠実勤労

畑恵さんが理事長として打ち出しているのは「自学自習」の精神です。作新学院の理事長挨拶には、「自らの頭で考え、自らの心で感じ、自らの意志に基づいて高い志を掲げ行動する人材」を育てるという理念が記されています。

また、創立130周年を記念して設立された「アカデミア・ラボ」は、学院の教育を象徴する施設です。ここではノーベル賞受賞者の山中伸弥教授との対談も実現させています。この教育対論では「未来を拓く教育」をテーマに、日本の教育がハードスキルに偏りがちな現状を指摘し、ソフトスキル(コミュニケーション力、柔軟な思考力など)の育成が急務であるという認識が共有されました。

山中教授は対談の中で「回旋型」の人材、つまり人生の中で柔軟に方向転換できる人材の重要性にも触れています。これは畑恵さん自身のキャリアそのものを言い当てているようで、興味深い符合です。

トップレベルの研究者を教育現場に招くこうした取り組みは、キャスター時代に培った人脈と企画力が活きている場面でもあります。さらに、アゴラ言論プラットフォームでの寄稿活動も続けており、教育改革や科学政策、社会課題に関する発信を精力的に行っています。理事長業務だけに閉じず、言論活動を通じて教育の外にもメッセージを届け続けている点は見逃せません。

三つのキャリアを貫くもの

畑恵さんの経歴を時系列で整理してみます。

出来事
1984年NHK入局、「夜7時のニュース」最年少キャスター
1989年NHK退局、フリーキャスターへ
1992年EC招聘でパリ留学(文化政策・美術史)
1995年参議院議員選挙で当選(新進党・比例区)
2000年作新学院副院長就任
2001年お茶の水女子大学大学院博士課程入学
2008年博士号(学術)取得
2013年作新学院理事長就任

キャスター、国会議員、教育者。一見バラバラに見えるこの三つのキャリアには、共通する軸があります。

一つ目は「伝える力」です。キャスターとしてニュースを届け、政治家として政策を訴え、教育者として生徒に理念を伝える。フィールドは変わっても、「人に何かを届ける」という行為は一貫しています。

二つ目は「学び直し」への躊躇のなさ。30代でパリに渡り文化政策を学び、40代で大学院の博士課程に入り直している。キャリアの転換点で必ず「もう一度学ぶ」というステップを踏んでいるのが特徴的です。

三つ目は「社会の仕組みそのものを変えたい」という志向。報道で問題を可視化し、政治で制度設計に関わり、教育で次世代の人材を育てる。スケールは違えど、社会システムに働きかけるという方向性は変わっていません。

もう一つ付け加えるなら、「飛び込む前に必ず準備する」という堅実さもあります。政治に転身する前にパリで政策を学び、教育に携わる前に博士号を取得している。勢いだけで飛び込むのではなく、次のフィールドで戦うための武器を先に手に入れてから動く。この計画性が、単なるキャリアチェンジと畑恵さんの転身を分けている要素だと感じます。

まとめ

畑恵さんのキャリアは、「一つの道を極める」タイプとは対極にあります。NHKキャスターとして名を上げ、参議院議員として政策に取り組み、現在は作新学院の理事長として教育の現場に立っている。

それぞれの転身に共通しているのは、決して思いつきではなく、前のキャリアで得た経験と知識を次のフィールドに持ち込んでいるという点です。報道で培った発信力を政治に活かし、政治で向き合った科学技術政策を学術的に研究し、その成果を教育現場に還元する。すべてがつながっている。

「三足のわらじ」という表現を使いましたが、正確には「三足目を履くために前の二足を脱いだ」わけではありません。キャスターとしての伝達力も、議員としての政策的視点も、今の教育者としての畑恵さんの中に残っています。キャリアの足し算ができる人。そういう言い方のほうがしっくりきます。

一つの肩書にとらわれず、自分の関心と社会の課題が重なる場所へ動き続ける。畑恵さんの生き方は、キャリアの正解が一つではないことを静かに、でもはっきりと示しています。